【ご挨拶】重責に負けぬ成果を皆様にお届けすることが遺志を継ぐことと心得ます
阿修羅プロジェクトのメンバーの皆様
平素より多くのご指導ご鞭撻をいただき誠にありがとうございます。
この度、故坂井千明の後を継ぐ形で「阿修羅の一人に昇格」させていただくことが決定いたしました、
「菅原貴史(すがわらたかし)」
でございます。
正確に申し上げれば当プロジェクトの阿修羅の3名は「認定競走主幹」という役職であるわけですが、その職務に私菅原を任命いただいたということでございます。
この辞令に私自身、身の引き締まる思いであり、今一度襟を正し、この職務に相応しい働きを追求してまいりますことを冒頭に申し上げます。
もちろん、私自身、「阿修羅プロジェクトの組成」という意味では、「加賀武見、塩崎利雄、坂井千明」の3名を口説きこの組織を発足させた「発起人の一人」でもあると自負しております。しかしながら、その実績という意味では「阿修羅の3名の半世紀を超える現場での実績」には遠く及ばず、この3名を盛り立てるべくサポート役に徹して今があるという状況。
私自身、20代で牧場勤務を経験し、その際に可愛がっていただきました馬主様に相馬眼を評価いただきその後「競走馬エージェントとしての道」を歩ませていただくこととなりました。
競走馬エージェントとは簡単に言えば馬主様の「馬の仕入れ担当」ということになります。
実際に、数億円の予算を預かり、国内セールのみならず、各牧場をめぐっての庭先取引、海外牧場、海外セールからの仕入れと、今私が阿修羅プロジェクトの一員として、加賀総帥を筆頭に、塩崎利雄や坂井千明に「モノが言える立場」として、業務に従事させていただけておりますのも、その「実績」があるからに他なりません。
私に競走馬エージェントの道を提示してくれ、最初にお世話になったオーナー様はもうお亡くなりになってしまいましたが、今でもあれだけの経験を積めるだけの予算を預かれたこと、そして、私が探した競走馬からGI勝ち馬が出た事も含め、私が担当した競走馬に関しては「賞金TOTALで黒字」で馬主生活を送っていただけました。
最高の経験と実績を手にさせていただき今があることにつき、まずは今は亡きそのオーナー様に感謝を申し上げたいと思います。
私自身は、エージェント時代から「いわゆる縁の下の力持ち」を続けてまいりましたので、この様に私が「主役の一人」として皆様の前に立つということは想像していなかったのですが、坂井千明からは「お前が立たないで誰が立つんだ」と言われ、お亡くなりになる直前まで本当に様々な事を教えて頂いておりましたので、私がその遺志を継ぐということを決断いたしました。
改めまして、「菅原貴史」を知っていただく意味でも自己紹介を少々させていただきたいと思います。
菅原貴史
昭和42年7月7日生まれの57歳。
競馬の世界に足を踏み入れたのは23歳。
大学を出たもののどうしても競馬関係の職に就きたかったという中、新冠の小さな牧場にて勤務を開始。
そこでサラブレッドのイロハをしっかりと学ばせていただきました。
そこから34年が経過いたしますが、やはり阿修羅の3名にはまだまだ遠く及ばぬ実績でございます。
エージェントとしての活動は、27歳から。
牧場勤務時代にお世話になっておりましたオーナー様に海外のセリに連れて行っていただき、その際に「おい菅原、一頭選んでみろ」と言われたのがきっかけでございます。その馬が「重賞」を勝利してくれた事で、そのオーナー様から徐々に大きな予算を任されるようになり、競走馬エージェントとして一本立ちできるまでにさせていただいた訳です。
ただ一つ勘違いしてはならないのが、私が選んだとて、最終的に買うか買わないかを選ぶのは「オーナー様」であり、ましてやセリなどでは「買いたくても予算オーバーで買えない事もある」という状況である以上、私の実力ではなく、全ては「オーナー様の実力」だと思っておりますし、実績という意味では「育成に携わった牧場や厩舎」の皆様の実績でございます。
競走馬エージェントという職業は、人事の面接官のようなものであり、ポテンシャルや資質こそ見抜けるかもしれませんが、その後の育成あってこその競走馬の実績。そういった意味でも、各馬との縁は、私自身の力だけでご縁をいただけたわけではございませんし、資金を出しているのはオーナー様自身でございます。確かに競馬関係者の皆様には実力以上の高い評価をいただいておりますが、競馬ファンの皆様方に自慢するようなことではございませんので、その実績を公開することはいたしません。
敢えて1つ言わせていただければ、世の中には「あれは俺の功績だ」と口にする方が多くいらっしゃいます。
例えば「あの有名なゲームを開発したのは俺だ」などといった話はよくある話ですが、多くのケースは「一部携わった程度」というオチがほとんどでございます。
そういった方々を見るにつけ、いわゆる裏方である「システムプログラマー」や「一介のSE」がそのようなことを口にすることは、最低の行いであると私は考えます。
なににしても「一人では作れなかった」というのが真実であるにもかかわらず「まるで自分だけの功績だなどと吹聴するような人間にはなりたくない」というのが、私のポリシーでございますので、過去の実績を基に「だから大丈夫です」と言うのではなく、「これからの実績でご判断下さい」と申し上げたいというのが本音でございます。
「なにを生意気なことを」
とご指摘されるかもしれませんが、私自身、まだまだ高みを目指したいと思っている「最中」でございますので、その道半ばで過去の実績を吹聴するなどということに意味は無いと思っているということでございます。
話を戻しますと、競走馬エージェントに従事してからの最初の5年は、前述した単独のオーナー様の仕入れに従事しておりましたが、そのオーナー様が亡くなられてからは、ありがたいことに様々なオーナー様からオファーをいただき、現在に続くまで貴重なお仕事をさせていただいておりました。
そして、実際に、加賀総帥や坂井千明さんとは、そのエージェント時代からの付き合いが今に至っているという意味では、25年近いお付き合いとなります。
その傍ら、馬事産業の真実を様々な所でお伝えすべく、ルポライターとしての肩書も加え、二足の草鞋を履くような形での活動を行ってまいりましたが、数年前より、加賀総帥から様々な話を聞き、この阿修羅プロジェクトの立ち上げに参画させていただき、今に至るという経緯でございます。
もちろん、競走馬エージェントとしての職はフリーのルポライターを名乗る様になってからも同時並行的に続けてまいりましたし、その基盤があったからこそ、様々な牧場、育成牧場、厩舎は勿論、個人馬主様、一口クラブ法人といったオーナーサイドとも今尚太い関係性を結ばせていただけているということでございます。
加賀武見、塩崎利雄、坂井千明のような「表立った場所」で活動して来たわけではございませんので、今、メンバーの皆様には「菅原で千明の後が務まるのか?」と思われるのは致し方ないと思っております。
しかし私にも馬事産業に裏方として長らく従事して来た者としての矜持もございます。
ここからは、前に立つ、表に立つ、という立場として、皆様の期待を超える成果を出し続けられるよう、今まで以上に、不惜身命の想いで業務にあたらせていただきますことを宣誓いたします。
競馬である以上全てで勝つということは不可能であり、負けてしまうこともあるかと思います。
これは予防線でもなんでもなく、「競馬における抗えぬ事実」としてしっかりと認識しなければならない事であると考えており、この事実を常に意識しているからこそ、細やかな「裏取り」の必要性に気付けていると考えております。
不束者ではございますが、皆様方にとっての「三本の矢」の一本に数えていただけるよう、そして、坂井千明の後継者に恥じぬ働きが出来るよう精進いたしますので、今まで以上のご指導ご鞭撻を賜れれば幸いでございます。
以上を阿修羅任命を受けての所信表明とさせていただきます。
令和6年1月19日
株式会社ASHURA PROJECT
認定競走主幹 菅原貴史