発起人挨拶

阿修羅発起人「塩崎利雄」からの御挨拶

切った張ったの世界に足を突っ込んで「50有余年」。
成功も失敗も同じくらい味わってきたが、この歳になって分かったことがある。

「競馬ってのは時間の対価」

ってことだ。

丁半博打から麻雀。様々な博打は一通りこなしてきた。
そういった博打は基本的には「直感」みたいなもので潜り抜けられるものが多いんだが、競馬だけは違うんだよな。

競馬ってのは博打の中で唯一と言っていい「時間軸」を意識しなくちゃならねぇしろものなんだよな。

まずその象徴が「人脈」だわな。
誰かに紹介されたからってすぐに心開くなんてことは競馬関係者に限っては絶対にない。
それこそ「どこの馬の骨かわからねー奴」に本音の話なんてするわけがない。

それは人脈だけじゃねーよな。
サンデーサイレンスの現役時代を見た事もねー奴がサンデーサンデーって語ったりするだろ。
実馬を見た事もねー奴が血統語るなんてのもちゃんちゃらおかしな世界なわけだよ。

俺の58年、そして、加賀さんの67年、更に、千明の54年。
全部合わせて「179年分」の人脈と知恵がここにある。

まず言いたいことは「裏取り」は我々に任せなってことだ。

俺らに嘘の話をする関係者はいねーよ。
もちろん公明正大には言えねー話も多いけど、ひっぱりやヤラズの話なんてごまんとあるからな。

そんな裏話を馬券を通じて金に換える。
それが「ASHURA PROJECT」だ。

最後に一つ言っておく。

「GIしか買わねー」とか「重賞しか買わねー」っていう俄かファンは入会お断りだ。
裏情報の何たるかを全く分かってねー証拠だからな。
もちろん、重賞やGIの予想も出すが、そんなところでの当たった外れたで価値を計るのはやめてくれよな。

「裏ネタは平場に眠る」

この言葉は覚えといてくれよ。

極道記者
現役記者:塩崎 利雄

東スポ、日刊ゲンダイをはじめ、スポーツ紙などで予想、コラムなどを担当する名物記者。
約50年の競馬記者生活から、競馬界では知らない者がいないとまで言われる。

1965年に東京スポーツへ入社。当初は競馬とは無関係の連絡員だったが、同年に競馬部門へ異動。同社のトラックマンとなり、1970年~1976年にインタビュー「塩崎利雄のジョッキー訪問」でホストを務める。
1982年に東京スポーツを退社。ケイシュウニュースを経て、その後は1986年から日刊ゲンダイ紙上で、自らの馬券生活を題材としたリアルタイム小説『止まり木ブルース』を連載して人気を博す。
また、ケイシュウニュースに属していた縁で、主要重賞のある度に予想コラム「行きの戎、帰りの閻魔」を同紙に寄稿していた。

ラジオ日本でメインレース解説や、雑誌でも連載を持つ。
映画化された「極道記者」など作家としても活躍している。

[著書]
極道記者シリーズ(奥田瑛二主演で映画化)
止まり木ブルースシリーズ(白竜主演でVシネマ化)
実録 極道記者

▼田原成貴元騎手との対談動画▼

阿修羅発起人「加賀武見」からの御挨拶

騎手に調教師。
私の競馬人生は本当に充実していました。
齢85になり、今も多くの牧場を訪ね歩き、競馬場やトレセンにも顔を出しますが、私が競馬の世界に足を踏み入れた時とは本当に大きく変わりました。

昔は厩舎の大仲で酒を飲む厩務員や違法薬物までぶってるおかしな厩務員もいましたが、今は本当にクリーンになりましたね。私は八百長の誘いやそういった違法な行為が好きではなかったので、結局調教師では大成はできませんでしたが、それでも悔いはないですね。

むしろそこを貫いたからこそ今なお多くの後輩たちに慕ってもらえていますしね。

競馬ファンの皆様に支えられて今の私がありますし、今度は競馬ファンの皆様に私の持っている様々な競馬の知識や人脈を還元し、競馬人生の締めくくりをさせていただこうと思っています。

「闘将・加賀武見いまだ健在」

というところを、皆様にしっかりお見せしてまいりたいと思っております。

阿修羅発起人:加賀武見

厩舎運営の鬼
闘将:加賀 武見

1960年に騎手免許を取得し、1988年1月31日、現役引退。
JRA通算8,664戦1352勝
1988年調教師免許を取得し翌年開業、2008年2月24日、調教師を引退。
調教師成績は中央競馬3441戦178勝、地方競馬155戦12勝。

現役JRAジョッキー時代は通算1352勝を挙げただけではなく、1962年から1966まで5年連続リーディング獲得、皐月賞に1961年から1979年まで19年連続で出走して「同一クラシック最多連続出場」を記録、八大競走のち皐月賞を除く7つを制するなど、当時は「闘将」と呼ばれた名手。

また調教師時代には門下生として、加藤征調教師が在籍するなど競馬界への貢献は計り知れない。

馬主サイドから勝負を厳命が発令されても、厩舎サイドがメイチの仕上げを施しても、的中馬券にバトンを繋ぐのはいつの時代も騎手となる。師と仰ぐ現役JRAジョッキーも多く既出するなか、レース中に行われる騎手同士の確かな駆け引きをも掌握するコネクションは情報競馬において強力な武器。

阿修羅発起人「坂井千明」からの御挨拶

みんなに驚かれるけど、この歳まで育成牧場で現役馬に跨ってるのは俺くらいのものなんじゃないかな。
若手の乗り役なんて孫の世代だからな。
今の競馬界は俺が現役の頃の教え子がもうベテランの領域に入ってきてるからね。俺も歳を取ったなぁなんて思うけど、俺は生涯現役、生涯乗り役、を誓ってここまで生きてきてるからね。

騎手なんて現役を引退しちまうとただの小さいおじさんになっちまうし、評論なんてやってても新しい種牡馬の産駒たちの背中も知らねーんじゃ、何も語る資格ないだろ。

騎手は背中を知ってなんぼ

だからね。
その意味じゃ、デビューして初めて跨ったトキノマツカゼなんて「チャイナロック産駒」だからな。今じゃ誰も知らんよな。そんな時代から、サンデー全盛期を経て、ディープの仔の背中まで、知らねー背中は居ないからな。

そんな俺が出来るのは育成牧場のネットワークを駆使した本音の話を引っ張ってくることや、調教を通じて厩舎の考え方をプロファイリングしたり、馬の本当の調子を見抜くことだよね。

どの厩舎も自分の所の馬の本当の状態なんて他所にバラすわけ無いわけでね。
ただ、俺の目を掻い潜るのは難しいぞ。

「千明さんには敵わないですね。。。」

最近俺が言われて一番うれしい言葉がこれだよ。
そんな「本気ヤリ」「闇調教」は一目でわかる。

阿修羅の会員さん達も、是非楽しみにしててほしいね。
阿修羅発起人:坂井千明

外厩の事情通
元騎手:坂井 千明

1970年に騎手免許を取得し、2004年9月30日、現役引退。
JRA通算9,864戦688勝(うち障害競走57戦10勝、重賞11勝)

マイヨジョンヌでの新潟大賞典連覇や、三冠馬ナリタブライアンと同期のライバル・ヤシマソブリン(菊花賞2着、ダービー3着)の主戦ジョッキーとして有名だが、騎手業だけにとどまらず、現役時代には関東騎手会として馬場調整委員長も務め、各競馬場の改修にも深く関わっている。
さらには、若手騎手育成にも尽力し、自ら「千明塾」を主宰して、乗り役としての技術指導や営業方法などを精力的に指導した。
門下生には、松岡正海、吉田隼人、石橋脩、津村明秀騎手など、いまや関東を代表するまでに成長したジョッキーたちが名を連ねる。

引退後は現役時代の経験を活かし、「重賞レース出走馬の追い切り診断」「重賞レース回顧」といった記事を公開中。特に、調子の良し悪しはもちろんのこと、細かい馬のクセや変化も見逃さない「追い切り診断」は、オンリーワンの内容としていまだに競馬ファンから根強い人気を誇っている。

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